『古事記』」の謎を解く!
須佐之男は誰か?

黒澤一功の
古代史の世界にようこそ


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狗奴国解明
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本文INDEX
第一章
渡来人秦氏



第二章
秦氏のルーツ



第三章
スサノオは誰?


第四章
楽浪公国と倭国


第五章
猿田彦と伊勢


第六章
倭人とは


第七章
古代の神々


第八章
北斗七星


第九章
六芒星と伊勢


第十章
八咫烏の痕跡


第十一章
始皇帝と徐福


第十二章
神々はエイリアン?

第十三章
幻の楽浪国
好童(ホドン)王子とヤマトタケルの幻影

むなしく自殺する二人の英雄

第十四章
沸流(ピリュ)王子と浦島太郎




はじめに
古事記は日本書紀よりも物語性が豊富です。物語には特有のパターンがあります。たとえば、誰と誰が愛し合い、誰と誰が反目していたかといったようなことです。後宮にスポットをあてれば王の正后と妃との関係にはドラマのような人物相関図があります。古事記にも、こうした人物の織り成す原型があるのです。その原型は扶余にありました。扶余といっても、ご存じない方も多いでしょう。もう少し説明しますと、扶余には北扶余、東扶余、卒本扶余の三王系がありましたが、高句麗という新しい国が起き、やがて勢力を拡張し三王系を統一します。この統一の過程は一言で言えば高句麗建国前史ともいえるのですが、いずれのも貊族の三派が織り成す人間模様が原型なのです。夫余(ふよ)の歴史物語のコアな部分をデフォルメしたのが古事記です。ですから、わたしは扶余史こそが古事記の原型というのです。
 こうして、扶余の物語、または神話の原型をデフォルメ化した作品?が古事記というわけです。
では、デフォルメとはいったいどういう意味でしょう。デフォルメとはフランス語で変形する、誇張するとかいう意味で主に芸術の分野で使われています。原型と同じなら、コピーといいますが、原型を感じさせつつも、一見違うものに作り上げることをデフォルメ化といいます。

Topic 1
元伊勢


檜原神社
檜原神社(ひばら)は、「元伊勢第一号」と伝えられる。三柱鳥居(三ツ鳥居)の形式をもつ。宮廷内大殿に大国御魂とともに祀られていた天照大神を崇神六年に、豊鍬入姫命に託して、ここ倭笠縫邑に祭った。二年間、しばらく鎮座したのち、倭姫命が鎮座の聖地を求めて各地を求めた。菟陀篠筱幡(うだささはた)→近江(おおみ)丹後一宮籠(この)神社→美濃(みの)と巡り、最後に気に入られた伊勢の五十鈴川の川上に斉宮(いつきのみや)をおこしたとの伝承がある。
Topic 2
「奈良」の語源はパーリ語の”nala”=ナラ、インド語だった!
奈良という文字はパーリ語のnala、サンスクリット由来の語です。日本には仏教語と一緒に入ってきたのです。意味は蘆、葦、芦です。ちまたでは韓国語のウリナラ、われわれの国という意味だと喧伝されていますが、地名に国と名づけるのは、おかしいというか、へんです。韓国語のナラが奈良に転化したというのですが、この説が、まことしやかに専門学者にまで浸透しています。こんな程度の低い思い付きを信じるから歴史歪曲をされてしまうのです。言語学者、歴史学者、文学者はしっかりしてください。
さて、奈良の都は国際都市でした。シルクロードの大遺産である正倉院宝物(ほうもつ)の「紫檀木画槽琵琶」に施されている木画は、エジプト発祥の技術で作られています。木画とは、木の表面に象牙、鹿の角、つげ、黒檀など異種の材料を寄せ木細工のように細かい紋様を描く高度な技術です。なんと、あのツタンカーメンの棺、飾り箱などには木画の技術がふんだんに施されています。エジプトーペルシャー中国を経て、日本にもたらされているのです。また、大仏の開眼式にはインド僧もたちあっていました。奈良にある須弥山石、道祖神石、亀石、猿石などはの石造遺物は吐火羅(トカラ)国の集団が作ったとされています。
さて、みやこの枕詞を葦原といっていました。
その例をみてみましょう。
『古事記』 神武天皇 御歌:伊須気余理比売が参内したとき歌われた。
葦原の むさくるしい小屋に 菅の畳を清らかに敷いて 我と二人共寝したことだ

あさはらとは、宮中にかかる枕ことばです。

万葉集:一六七、日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
天地之 初時 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而  神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛
あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづかみの かむつどひ つどひいまして かむはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと  あめをば しらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ しらしめす かみのみことと あまくもの やへかきわきて かむくだし いませまつりし たかてらす ひのみこは とぶとりの きよみのみやに かむながら ふとしきまして すめろきの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ わがおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとくあらむと もちづきの たたはしけむと あめのした よものひとの おほぶねの おもひたのみて あまつみづ あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのをかに みやばしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさことに みこととはさぬ ひつきの まねくなりぬれ そこゆゑに みこのみやひと ゆくへしらずも
古事記では葦原中津國という語はたくさんでてきます。
さて、葦という語源をデータから探ってみます。
葦(あし)は葦(よし)とも読みます。そこで、あしは悪しきに音が似ているので、よしと読むことになったのです。実際、奈良に群生していたのは植物学的にも茅(かや)なのです。ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭、学名:Phragmitesaustralis)は、イネ科ヨシ属の多年草。河川及び湖沼の水際に背の高い群落を形成する。英語で一般的にリード(reed)と呼ばれるが、湿地に生える背の高い草の総称もリード(植物)(英語版)(reed)と呼ばれます。
奈良の盆地は昔は湿地帯だったのです。奈良にはヨシが群生していたのです。

Topic 3
八咫烏は日本のオリジナルではありませんでした。

このカラスには足が三本あるのが特徴です。朝鮮では、三足烏(サムジョゴ)と言われています。紀元前60年ごろから高句麗の朱蒙のトーテムだったのです。中国の桓仁満族自治県の五女山にある高句麗始祖碑の冠帽に描かれている三足烏。日神のシンボルだったのですね。JAFは八咫烏に本家があることを知らなかったようです。
東明王、都慕王とも呼ばれ、姓は高、諱は朱蒙。卒本(朝鮮語版)(チョルボン、現在の遼寧省本渓市桓仁満族自治県)に亡命して高句麗を建国しました。


足が三本、足の指も三本!黒褐色の羽と白い腹、短くて細い脚を持つ・・・これが特徴です。

日本書紀では一カ所に三足烏の表記がある。
孝徳天皇 白雉元年(650年)「沙門對曰・・・又遣大唐使者持死三足烏來、國人亦曰休祥」
また大唐の使者が死んだ三足烏をもって高麗に来た。国人はまためでたいしるしだと言った。(白雉・白鹿・白雀と三足烏が吉兆だとされている)
【休祥】[きゅうしょう、きうしやう]めでたいしるし。よい前兆。吉兆。
延喜式には「三足鳥 日之精也。白兎 月之精也」と記されている。